夏の終わりと、母との別れ その5


19日、再び仕事のついでに呉の実家へ向かいました。


しかし19日は、身体に触れてみても重たい嫌な感じはもうあまりなく…

わたしにできることは、もう無いみたいとの印象でした。



母も身体のことより、滞った家事の手伝いをメインに頼んできて。

仏壇やテーブルを掃除したり、食欲のない母に桃を剥いてあげたり。

晩のおかずを準備したり…そんな細々したことをして。


最後には「玄関の飾りを、季節に合ったものに変えて」などと言い出して…

「お母さん!それより!もっと!自分のことで、何かお願いはないん!!?」

と、膝立ちでベッドに寄りかかり痛みに耐えながら指示を出す母に突っ込んだのでした。



この日は、食欲はないようでしたが…

身体はともかく、これだけ頭がしっかりしている状態でしたし。

くどいようですが、まだ単なる腰痛だと思っていて。


夫も坐骨神経痛になった時は、半年近くは腰が痛いとぼやいていたので。

痛みが無くなるまで、時間がかかるのはしょうがないという母の言葉を信じていました。



ただこの時にチラッとだけ、頭を過ったのが。

(腰が治っても、身体がこれだけ弱っていては…

 寝たきり状態が続くなら、母の寿命は思っていたより長くはないかもしれない)

ということでした。


しかし長くはないかもといっても。

この時はまだ、数年単位の時間はあるつもりでしたし。

あくまでも、"かも…"とチラッと思っただけだったんです。



そんな甘い考えが覆されたのが、8月27日の朝のことでした。

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